自分を分析する

言語化の本を購入した

私の本音を自分で発してみる

もちろん一人の時に

やってみた

そして不安や思ってることを出してみた

 

私は昔から妄想、想像癖があった

友人を空想して自分が好き勝手言ってみたのは20年以上経っても忘れない

太陽がポカポカと部屋に降り注ぎ

椅子を一つおき

私はその椅子に友人を想像した

学校行事の日に休んだ友人に

「とっても面白かったのに残念ねぇ」

「本当勿体無い」

支配的に友人へ言葉を投げる

目線は上から目線

私は何を見たのだろう

友人のことは大好きだったのになぜそんなことをしたのか

今でもわからない

その一度きりの記憶が何年経っても消えることはない

現実の世界では絶対しない

そんな支配的で責める言葉へ繋がるなんて

私の心はその頃から蝕まれていたのかもしれない

歪んでしまっていたのかもしれない

 

私は妄想、想像の世界へ逃げるようになったんだと思う

家庭で自分の気持ちや考えを素直に言えなかった

寂しさがずーっとあって

母に甘えたい、母と遊びたい、母との時間を過ごすことがずっとしたかった

でも若かった母は私を祖父母と叔母に預けて外へ行くことが多かった

仕事もしていたから仕方ない

ずっと寂しかった

でも寂しかったとかほしいものとか言えなかった

そしたら感情をぶつけることしかできなくて

言葉が追いつかず

泣き喚いたり

怒ったり

爆発するしかなかった

それは20代になっても続いた

言葉を出したいのに知らないことがとっても苦しかったときもある

すごくたくさんの気持ちがあるのに

気を遣って言葉を選び

傷つけないようになんて考えればさらにでない

「これは言ってはダメ」「これもダメ、だめ、だめ、、」泣くしかなかった

相手が欲しがる言葉を出す

それを常に意識してきたこども時代

先生にも言えなくてただ泣くしかなかった

泣けばその場が流れる、過ぎる、終わる

言葉を出せないことを泣いて誤魔化した

だれも言葉でほしいとも言われなかった

でも私はとても言葉にしたかった

嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、いろんなことを言葉で表現したかった

 

自分の思う通りにできる想像、妄想の世界は

誰もが平和でみんな私が大好きで

みんな私に注目していた

現実にはないこと

ソッチの世界でいることで

自分の平和を守ってたのかもしれない

そこが私の逃げ場だったのかもしれない

 

そんな風に思い出した。